子供の森公園「東海尋常高等小学校沿革」

歴史・由来の立て札

京急本線の新馬場駅から山手通りを西(大崎)方面に歩いていくと、「子供の森公園」があります。
そちらに石碑がありましたのでご紹介いたします

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この辺り以前は東海寺の境内地だった所のようですが、昭和46年1月に整備され「子供の森公園」となりました。

普段は気にしていないのですが、こちらの公園にはAED(自動体外式除細動器)が設置してあります
他の公園にも設置してあると心強いですね

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「東海尋常高等小学校沿革」

一.明治四十一年九月八日東京府荏原郡品川町北品川宿二八〇~二八三番地 東海寺境内の一部を卜して品川町立東海尋常高等小学校を創立す 同年十月十日開校式を挙行す 尓後この日を開校記念日とす 初代校長に池田易之先生就任さる

一.大正十五年七月一日 品川町立青年訓練所を併設す

一.昭和十二年十月二十八日 品川区東品川四丁目百二十三番地に移転す

一.昭和十三年四月一日 単独高等小学校となり東海高等小学校と称す

一.昭和十六年四月一日 校名を変更し東海国民学校と称す

一.昭和二十二年三月三十一日 学制改革により東海国民学校を廃校す

昭和五十一年十月十日 卒業生有志建立(石碑より)

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そして、こんな張り紙もしてありましたので紹介しますが、興味の無い方はスルーでお願いしますm(__)m

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「死亡した野鳥を見つけたら」

野生の鳥は、体内や羽毛などに細菌や寄生虫などの病原体を持っている場合もありますので、素手で触らないようにしましょう

同じ場所でたくさんの鳥が死んでいたら、お近くの都道府県や市町村の役場に連絡してください

コメント

  1. 磯野 彬 より:

    1893年生まれの祖父夫婦から生前、聞いていたのですが、夫婦共々、1919年に岡山から上京し、品川の小学校の教員になった由。古い書付で確認すると、どうも、祖父が勤めたのは、上述の東海尋常高等小学校だったようです。祖母の方は、近くにあった品川尋常小学校のようです。彼等も、大正時代の共働き夫婦というわけですね。1923年の関東大震災のときには、祖父が岡山の旧制中学に転勤しており、翌年我が母が生まれた由です。今は、その母も亡くなっているので、詳細は不明でしたが、先祖の足跡を辿れる貴重な情報を知ることができました。どうもありがとうございます。

  2. ぷーたん より:

    >>磯野 彬さんへ
    ご覧いただきありがとうございますm(__)m
    当ブログの情報がお役に立つ事が出来まして本当にうれしいです(^-^)
    これからもこれを励みに、細々とですが続けていこうと思います(^_^;)
    今後とも宜しくお願い致します(^^)/

    • 中條 幸博 より:

      東海尋常高等小学校の名前を見て、去年亡くなった昭和2年生まれの母が学んだ学校であることを思い出しました。ただし、卒業するときは文集によれば東海国民学校となっていますので、移転してからそこで卒業したと思います。移転先の東品川4丁目123番地は現住所のどのあたりなのでしょうか。分かるようでしたらご教示ください。

      • ぷーたん ぷーたん より:

        中條 幸博さんへ
        ご覧いただきましてありがとうございます。
        専門ではないのではっきりした事はわかりませんが、気になって少し調べてみたところ、移転先の東品川4丁目付近は現在開発が進み『品川シーサイド駅』や『品川シーサイドフォレスト』『イオンスタイル品川シーサイド』など大きなビルが建ち並んでいます。恐らくその付近にあったのではないかと思われます。
        また東品川3丁目に「品川区立東海中学校」があり、こちらの設立が昭和22年4月1日という事なので何か関係があるのではないでしょうか。何かの参考になれば良いのですが…。

        • 中條 幸博 より:

          ぷーたん様

          早速のご返信および迅速なご調査ありがとうございました。
          今度の休日にその周辺を歩いてみます。
          子供の森公園にも行ったことが無かったので、訪問してみます。
          何だか母に会うような気持で心が温まります。
          本当にありがとうございました。

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