神田佐久間町三丁目

歴史・由来の立て札

先日ご紹介した、
そのお店の近くの公園を通った時に、立て札がございましたのでご紹介したいと思います

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『神田佐久間町三丁目』

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佐久間公園(佐久間小学校跡地)

和泉小学校に統合された佐久間小学校の跡地が佐久間公園となっています

この公園内に立て札があります

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『神田佐久間町三丁目』

江戸時代、この界隈には町人地と武家の屋敷地とが混在していました。「佐久間町」の名前の由来は、佐久間平八という材木商が住んでいたことに由来するとされています。
 江戸は火事の多い町として知られていますが、とくに享保年間(1716年~1736年)には、幾度となく大火に見舞われました。そのたびに町の一部に火除地や代地が設けられて南北に分断され、住民は移転を余儀なくされました。
 大正十二年(1923年)の関東大震災では、住民が一致団結して火事と闘いました。猛烈な勢いで襲ってくる火の手に、住民たちは力をあわせてバケツリレーをおこない、町を守りました。三十時間にもおよんだ命がけの消火活動のかいあって、佐久間町から和泉町にかけての一帯は奇跡的に延焼をまぬがれたのです。
 この由来板が立っている佐久間公園は、ラジオ体操会発祥の地としても知られています。「国民保険体操のラジオ放送(のちのラジオ体操)」が開始されてまもなく、昭和五年(1930年)に万世橋警察署の巡査が地域の住民を集め、全国に先がけてこの公園で早起きラジオ体操会を始めました。これを記念して同公園には由来を記した碑が建立されています。
 神田佐久間町三丁目は、江戸時代から続く由緒ある町名です。長い歴史に培われた強い連帯感で結ばれた住民たちは、力をあわせて町を守り抜いてきたのです。

佐久間町三丁目町会(立て札より)

とても美味しいラーメン屋さん、「青島食堂」 さんに行きがてら、この公園を見学してみてはいかがでしょうか


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