口入宿(くちいれやど)

歴史・由来の立て札

いつもご覧いただきましてありがとうございますm(__)m

緊急事態宣言の延長が濃厚となってきました
更に気持ちを引き締めていきたいと思います

本日は先週の記事の続編で簡単更新となります

あらかじめご了承くださいませ

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口入宿(くちいりやど)

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富士ビルディングさん

人形町駅~水天宮前駅の中間付近にある冨士ビルディングさん
先週の記事の隣に、もう一つ掲示がありました

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口入宿(くちいれやど)

人形町から日本橋に通じる道に、親父橋 と呼ぶ橋が架っていました。この周辺の芳町には、江戸の頃から口入宿が軒をつらねるようにありました。以前は職業安定所、いまのハローワークには大勢の人が集まり、就職(奉公)先を選ぶ姿が、各々の店で見られたのが早朝の風景でした。江戸はもちろん近隣から集まってきて、生業に付きたい雇われを望む人、つまり職を求める人の希望を、次から次と帖面に書きとめる貼付けの役は、えんまと呼ばれている番頭でした。午前7時頃になると、一同に集まった広場で貼付けのえんまが、何處の何屋または何商売の飯炊き、あるいは出前持ちはどうか、と云うように職を斡旋するのが口入宿でした。
明治になって早々から人形町通りが確立し、各店が並び繁昌したのは、江戸時代からここ一ヶ所に在った口入宿街に、毎日のように大勢の人が集まってきたのも、人形町繁栄の一助であったはずです。
横丁の郷土史家  有田芳男

江戸の時代からハローワークがあったんですね

最近ではコロナの影響で失業されてしまった方も周りで出ており、当のオイラも『尻に火が点いている感』も否めません

まずは踏ん張って生活していこうと思っております

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