旧 根津宮永町

歴史・由来の立て札

いつもご覧いただきましてありがとうございますm(__)m

やはり3度目の緊急事態宣言が発令されそうですね
保障の内容によっては、かなり厳しい状況に陥るお店や会社などがありそうです

さて、最初に本日簡単更新となる事をお詫び申し上げます

先日、あんじゅ&しぇりをトリミングに連れていく前に、お店の周りを少々散歩しておりました

裏道をテクテクと歩いていると、かなりの年代物の建物を発見
更にそのお家の前には立て看板が…

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旧 根津宮永町

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明治時代に建てられた総けやき造りの3階建て家屋
文化庁指定『有形登録文化財』に指定されているそうです

ちなみにこちらは現在も営業している串揚げ屋さんとの事
「はん亭 根津本店」さん、機会があれば一度来てみたい興味深いお店です

この界隈の路地裏には、こんな風情のある建物を他にもたくさん見る事が出来ます

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旧 根津宮永町(きゅうねづみやながちょう)
(昭和40年までの町名)

 もと、谷中道(やなかみち)といわれた地である。
 宝永(ほうえい)3年、(1706)、甲府中納言徳川綱重(つなしげ)(5代将軍綱吉(つなよし)の兄)の山手屋敷の跡に、根津権現(ごんげん)(根津神社)が建立されたときから、根津宮永町と称するようになった。
 当地は根津権現の宮本(みやもと)であるので宮永町と唱えたという。宮本を宮永としたのは、宮居と共に永遠(とこしえ)にという意味であろう。
 明治5年、旧川越藩主松平氏の下屋敷や、その他の土地を合わせて町域を広げた。
 6代将軍家宣(いえのぶ)は徳川綱重の子で、現在の根津神社の境内にあった屋敷で生まれた。根津権現が産土神(うぶすながみ)で、商文綱吉の嗣子(しし)となると、綱吉は華麗(かれい)な根津神社を建てた。

文京区  旧町名案内より

根津と甲府、繋がっていたんですね

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