官営品川硝子製造所跡

歴史・由来の立て札

かつて東海寺の境内(参考記事)に設立された、日本最初のガラス工場である「品川硝子製造所」の跡地碑が「東海寺大山墓地」の入口にあります。

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場所は京急本線の新馬場駅から山手通りを西(大崎)方面に歩いて、JR高架下辺りです。

工場があったであろう場所は、現在は塀で囲われていて、何かの工事をしているようでした。

ガラスの原料である珪石のオブジェと一緒に建っています。

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品川区指定史蹟 『官営品川硝子製作所跡』

    所在 北品川四丁目十一番五号 第一三共株式会社前
    指定 昭和五十三年十一月二十二日 (第八号)

 日本における近代ガラス工業発展のもとになったのは、明治六年(一八七三)に東海寺境内に創設された興業社である。
 興業社は、明治九年(一八七六)に工部省に買収されて官営品川硝子製造所となり全国のガラス工業の発展に貢献した。明治十八年(一八八五)には西村勝三らに払い下げられて民間経営となったが、経営不振のため、明治二十五年(一八九二)に解散した。
 昭和三十六年(一九六一)に官営時代の建物は取り片づけられたが、煉瓦造りの工場の一部は明治初期の貴重な建築物として、愛知県犬山市の明治村へ移築され保存されている。

平成二十七年八月三十一日
品川区教育委員会
(立札より)

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「近代硝子工業発祥之地」

此ノ地ハ本邦最初ノ洋式硝子工場興業社ノ跡デアル 同社ハ明治六年時ノ太政大臣三条実美ノ家令丹羽正庸等ノ発起ニヨリ我国ニ始メテ英国ノ最新技術機械施設等ヲ導入シ外人指導ノ下ニ広大ナ規模ト組織ニ依テ創立サレタモノデアル
 然ルニ最初ハ技術至難ノタメ経営困難ニ陥リ同九年政府ノ買上ゲル所トナリ官営ノ品川硝子製作所トシテ事業ヲ再開シタ 同十七年ニハ再ビ民営ニ移サレ西村勝三其ノ衝ニ膺リ同廿一年品川硝子会社トシテ再興ノ機運ヲ迎ヘタガ収支償ハズ同二十六年マタマタ解散ノ已ムナキニ至ッタ
 其ノ間育成サレタ技術者ハ東西ニ分布シテ夫々業ヲ拓キ斯業ノ開発ニ貢献シ本邦硝子興業今日ノ基礎原動力トナリ我国産業ノ興隆ニ寄与スル所頗ル大ナルモノガアッタ
 吾等ハ其ノ業績ノ偉大ナルヲ偲ビ遺跡ノ保存ヲ図ッタガ會々此ノ挙ニ賛シタ 三共株式会社ハ進ンデ建設地ヲ無償提供サレタ 斯クテ有志ノ協賛ト相俟ッテ今茲ニ由緒アル発祥地ニ建碑先人ノ功ヲ不朽ニ伝フルヲ得タノデアル

昭和四十年十二月
(石碑より)

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