小伝馬町駅入り口に…。

歴史・由来の立て札

9月も今日で終わり、今年も早いもので残り3か月となりました
まだまだ残暑が厳しいですが、皆さん体調など気を付けてくださいませ

そしてオイラは、またまた立て札を発見しましたよ

けっこう狭い地域に多数の案内板や説明板が建っているものだと感心してしまいます

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地下鉄日比谷線「小伝馬町駅」前に、石碑と立て札がありました

どうやら以前ご紹介しました、十思公園の説明板となっている様です

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石碑には…、

 都重宝指定
在町宝永時鐘
江戸傳馬町牢屋敷跡
吉田松陰先生終焉之地
 東京都知事 安井誠一郎

と、漢字ばかりで何やら難しい…
3件の事象が記されています。

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石碑や説明版の前には、乱雑に自転車や空き缶やごみなどが置いてあり、折角の説明板も台無しです

立ち止まって読む気にならないような環境ですね

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こちらの説明板には、句読点が殆ど無いのでかなり読みにくいですが、以下に抜き出してみましたので興味がある方はどうぞご覧くださいませ

都重寳 石町時の鐘
江戸時代當初の時の鐘で初め江戸城にあり2代将軍秀忠の時是を石町に移し 地元410町より集めた鐘楼銭で維持され幕末まで石町時の鐘として親しまれた鐘楼櫓下では蕪村等が夜半亭と号して俳諧の集ひをしていたことは有名である傳馬町牢に於ける處刑時もこの鐘を合図に執行されたが定時に鳴るべき鐘が處刑者の延命を祈るが如くその都度遅れたとあって一名情けの鐘とも傳へらる現鐘は旧楼燒損後寳永8年に改鋳したもので銘に寳永辛卯4月中浣鋳物師大工椎名伊豫藤原重休とある昭和5年9月石町寳永時鐘を楼建設会に依り十思公園に移され28年11月都重寳に指定さる

傳馬町牢屋敷跡
大安楽寺、村雲別院、身延別院、十思小学校及び十思公園を含む一帯の地は江戸時代の傳馬町牢屋敷跡である牢屋敷は慶長の頃常盤橋際より移り明治8年5月市ヶ谷囚獄が出来る迄存した幕末の時牢屋頭に大番衆石出帯刀御琢御用山田浅右衛門がつとめた當時勤王志士96名が處刑されている

吉田松陰先生終焉之地
長門の藩士吉田松陰先生は兵学に通じ憂國慨世の念篤く萩の松下村塾で多くの人士育成は遂に有爵者6名、贈位者17名、有位者14名といふ著名士を出した、先生は國事を論じた罪により安政6年7月傳馬町牢に囚はれ同年10月27日時30歳にて惜しくも最期をとげた

江戸史跡保存協賛会
昭和51年12月吉日
小伝馬町1丁目町会長柿澤常次郎寄贈
(説明板より)

以前記事にしました、も合わせてご覧頂けると幸いです

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