1か月ほど前にスキーで長野に行った時に「もみじ荘」という温泉に寄って帰りました。
その「もみじ荘」の駐車場に立て札が立っていましたので、ご紹介します(温泉の方の話しじゃないのかい)
正直なところ、この案内板が無ければ全く気にも留めない様な山の風景だったのですが、案内板のお陰で多少でも歴史を振り返る事が出来ました。
案内板って素晴らしいですね
もみじ荘は食事も出来る温泉施設です。
お湯はかなり熱めで、オイラには厳しい温度となっていました
「替佐城址」
この城は、永禄7年(1564)頃築かれたと推定されている。 北信濃の制圧を目指す武田勢とその防衛をはかる上杉勢が、 川中島平で激しく争った当時、武田方の前進基地として 重要な役割を果たした。 この城は、上杉方の拠点飯山城へ通じる谷街道(千曲川通り)を、 東岸からおさえる壁田城とともに、西側からおさえるもので、 また、北永江方面をへて上杉方の国境野尻城へも備えていた。
この城は、3つの曲輪(本丸・二の丸・三の丸)と、それを 取り巻く幾つかの帯曲輪・腰曲輪や堀切からなっている。 武田氏関係の山城として戦国時代の面影をよく残しており、 また、その整然とした曲輪配や規模の大きさなど北信濃でも 有数の城郭である。
こうした史的価値により、その維持、保存をはかるべく昭和五十七年、豊田村文化財に指定された。
中野市教育委員会 (案内板より)
日本各地にも立て札はいっぱい存在していると思いますので、見かけましたらまたご紹介していきたいと思います
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