逆井の渡し跡

歴史・由来の立て札

いつもご覧いただきましてありがとうございますm(__)m

緊急事態宣言も徐々に解除となってきておりますが、全国が解除とならないと経済活動もなかなか難しそうですね

さて、そんな中”あんしぇり”の散歩をしておりますと、久しぶりに立札を発見いたしましたのでご紹介したいと思います

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逆井の渡し跡

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首都高速7号・小松川線と旧中川が交わる辺りに、旧中川に架かる『逆井橋』があります

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その逆井橋のそばにそれはありました

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『逆井(さかさい)の渡し跡』

 中川をわたる逆井の渡しは、「新編武蔵風土記稿」に「元逆井村にありし渡しなるを以て、今も逆井の渡しをよべり」とあるように、もとは北隣りの逆井村にあったものが、その後西小松川村(現在の逆井橋付近)に移転したもののようです。ここに江戸と房総をむすぶ街道がひらかれたからでした。この街道を元佐倉道といい、区内を北東にほぼ直線で横切って、小岩市川の渡しを渡り、市川から佐倉、成田へ向かいました。明治に入って千葉街道とよばれるようになりました。
 逆井の渡し付近は風景も良く安藤広重が「名所江戸百景」のひとつに描いています。明治12年(1879)、渡し跡に橋が架けられて、逆井の渡しは廃止されました。架橋当時は村費による架橋費を補うために通行料(橋銭)を徴収する賃取橋でした。明治27年(1894)に橋銭徴収は終わり、31年(1898)に、東京府によって架けかえられています。昭和43年(1968)には、江戸川・江東両区の協力で鉄橋になっています。その後、旧中川沿岸の景観整備や、虹の大橋やもみじ大橋・さくら大橋がかけられて、現在のすがたになりました。

江戸川区(説明文より)

昔は苦労していた川越えですが、橋が架かる事によっていつでも簡単に渡る事が出来るようになったんだという事を改めて思うのでした

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