旧 浅草上平右衛門町、浅草左衛門町

歴史・由来の立て札

いつもご覧いただきましてありがとうございますm(__)m

先日、浅草橋付近を歩いておりましたら立て札を発見

なんと『オラが村の殿様』の名が記されているではありませんか

という事で、久しぶりの立て札シリーズをお送りしたいと思います

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旧 浅草上平右衛門町、浅草左衛門町

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それは『左衛門橋』の袂にありました

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『旧 浅草上平右衛門町、浅草左衛門町』

 浅草上平右衛門町を開いたのは、平右衛門という人物である。
 天正十八年(1590)家康入国に従い江戸へ入り、元和二年(1616)、家康が浅草寺へ参詣した際、この地に町屋を開くことを命じられた。町名は、平右衛門が住んでいる土地ということで付され、この地の名主になった。
 当初、町名には上下の区別はなく「浅草平右衛門町」であったが、俗に浅草御門(現浅草橋南詰にあった)より東側を下平右衛門、西側を上平右衛門と称していた。明治五年(1872)になり正式に上下二町にわかれた。昭和九年(1934)、上平右衛門町は二分され、東側を浅草橋一丁目とした。残った西側部分も昭和三九年(1964)の住居制度の実施で、浅草橋一丁目となった。(左図町名遍歴表参照)
 一方、浅草左衛門町が起立したのは、明治二十三年(1890)である。この地には、慶長三年(1598)以来、徳川譜代大名庄内藩酒井左衛門尉邸(明治元年現在で十二万石、領主酒井忠宝)があったが、明治元年(1868)に収公され、同五年に町屋が開かれた。当初、平右衛門町の隣にあったことから、新平右衛門町と称していた。後に、神田川に望むこの地を俗に左衛門河岸と呼んでいたのをとって町名となった。

※系図省略

(旧町名由来案内板より)

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立て札のあった場所は、ちょっとした公園になっていました

小さい頃に、祖父や曽祖母が「酒井の殿様」の話をしてたことを、そこはかとなく思い出すのでした

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