蔦屋重三郎「耕書堂」跡

歴史・由来の立て札

地下鉄小伝馬町駅は、三菱東京UFJ銀行の路地を入ったところに立て札がありましたので、ご報告します

なかなか日本橋界隈から出れずにいる今日この頃です

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三菱東京UFJ銀行から路地を進むと『蔦屋重三郎「耕書堂」跡』の立て札が電柱の陰に隠れるように立っていました

「耕書堂」は江戸時代の有名な版元で、喜多川歌麿や東洲斎写楽の浮世絵などの出版で知られています

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東横イン東京日本橋店の正面に説明版はあります

蔦屋重三郎は江戸後期(1750~1797)の出版業者で、本名は喜多川柯理(からまる)、通称は蔦重(つたじゅう)といったらしいです

蔦重は当時の大衆の嗜好やさまざまな動向を察知し出版していったそうで、現代風に言えばマーケティングリサーチに長けていたようです

この時代に有名だった絵師などの殆んどは、蔦重と何らかの関係があり、彼によって歴史に残った人物は多くいます

江戸の美術や文学などが盛んになったのも、蔦重のお陰かもしれませんね

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『蔦屋重三郎「耕書堂」跡』

所在地 中央区日本橋大伝馬町13番地域
この地域には、江戸時代中期の出版業者である蔦屋重三郎(1750~97)の書肆(出版業者兼本屋)「耕書堂」がありました。
寛延3年(1750)に新吉原に生まれた重三郎は、後に喜多川氏蔦屋の養子になり、新吉原大門口五十軒道に書肆を開業しました。安永3年(1774)には、吉原の案内書である「吉原細見」の版元になり、さらに黄表紙などの刊行を行いました。
天明3年(1783)9月には、通油町(現在地付近)に進出し、洒落本、狂歌本、錦絵などを刊行して、有力な地本(江戸で出版された双紙類)問屋になりました。葛飾北斎の「画本東都遊」(えほんあずまあそび)には「絵草子店」として その店先の光景が描かれています。
重三郎は江戸の人々の嗜好を汲むことに長けており、戯作者としては朋誠堂喜三二、大田南畝、恋川春町、山東京伝など、絵師としては勝川春章、鍬形蕙斎、葛飾北斎などの作品を次々に刊行しました。さらに、喜多川歌麿を見出してその庇護者となって大成させるなど、江戸一流の版元として数多くの実績を残しました。
寛政3年(1791)には、寛政の改革の出版統制による弾圧を受け、身上半減の闕所処分(財産半分没収)とされてしまいます。しかし、それ以降も書肆としての活動を続け、寛政6年から翌年にかけて東洲斎写楽の役者絵などを刊行しました。

平成22年3月 中央区教育委員会(説明版より)

ちなみに皆さんもよく知っている「TSUTAYA」とは血縁関係がある訳ではなく、この蔦屋重三郎の名前にあやかってつけたものという一説もあるそうです

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