西五反田 協和地蔵尊由来

歴史・由来の立て札

九州などで記録的な大雨を降らせた台風16号も温帯低気圧へと変わりましたが、大雨などで地盤の緩んでいる場所もありますので土砂災害などには引き続き警戒してくださいm(__)m

さて、久しぶりに大好評の立札シリーズをお送りしたいと思います

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西五反田にある西五反田協和会館の玄関脇、ビルとビルの合間にお地蔵さんが祀られていましたのでご報告したいと思います

この地蔵尊は施主の内田金太郎氏の祖先が地中に埋没しているのを夢で知り、掘り起こしてこの地に祀ったものと伝えられています。

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「協和地蔵尊由来」

この地蔵尊の起源については定かではないがその昔中原街道の建設に多くの犠牲者が出たので、その供養のためこの地に六地蔵を建立したのではないかと思われる。
以後この近辺は湿地帯であった為人家が無かった事もあり、度重なる大雨などによりいつしか地中に埋もれてしまったが、その後徳川時代の寛文年間(西暦1672年頃)内田家の祖先がこの地に住む様になり、或る日地蔵尊が埋没しているのを夢で知り掘り起こしてこの地に祭ったものと伝えられている。
昭和二十年頃迄は六体の地蔵尊が有り、一体は首の無い首無地蔵尊も有ったが、長い年月と昭和二十年五月二十四日の第二次世界大戦の東京大空襲により破損が著しくなったため施主内田金太郎氏により新たに建立し協和地蔵尊と名付けて祭ったものである。
尚この近辺の歴史を物語る資料をカプセルに納め地蔵尊の下に埋設した。今より五十年後の昭和百七年(西暦二〇三二年)にこのカプセルを開け、この地の歴史が長く語り継がれることを願うものである。

昭和五十七年(西暦一九八二年)七月四日
西五反田共和町会(立札より)

タイムカプセルを開ける2032年ってもうすぐなんですよね
50年というと、長いようで人によってはあっという間の月日ですね

そういえば、小学生の時に埋めたタイムカプセルは、今どうなっているのか気になるところです

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