万力林

歴史・由来の立て札

とある夏の日山梨市駅の北側にある『万力公園』に行きました

それも真夜中に…

目的は別だったのですが、園内に立て札がありましたのでご報告致します

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『万力林』

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万力林について

 差出磯の堤は、昔笛吹川の大洪水でたびたび決壊し下流の村々に大きな被害を及ぼしました。この場所は、県内の洪水を防ぐ上で竜王の鼻(信玄堤)近津の堤(笛吹川・日川・重川の合流点)とならび三大水難所の一つとして知られて来ました。
 15世紀の守護領は、石和(現笛吹市)にあり、万力堤と近津堤により守られていました。
 永正14年(1517年)武田信虎(信玄の父)は、度々大洪水の被害を受け、甲府へ転出しました。その後も天正11年(1583年)の大洪水で家や田畑が流出し、慶長5年(1600年)徳川氏は、堤防を増築し、田や畑に木を植えて水防林として木を切ることをきびしく禁じました。明治34年(1901年)「水害防備林」に編入され今日に至っています。
 この万力林は、もし洪水時に笛吹川が氾濫した場合は、密生している松の大木の中を流れる事により水の勢いを弱め、流木や土砂を防除するとともに、下流部の開口部(霞堤)から笛吹川に戻す治水施設です。また万が一、笛吹川の流れが万力林からあふれた時は、台地にぶつけ水が町へ流れないような地形的特徴も利用しています。
 「万力」の地名は、南北朝時代の記録にもありますが万人の力を合わせて堅固な堤防とする願いを込めて付けられたと伝えられています。

霞堤とは
 霞堤とは、堤防と堤防のあいだにすきまをつくり不連続とすることにより洪水時には開口部から河川からの洪水が逆流し河川の水位を下げることや支川の排水や内水排除を行うことなどの機能がありますが、万力林の霞堤は、主に急流河川である笛吹川の洪水があふれた時、氾濫水が拡大しないように開口部から河川へ戻る役目をしています。
国土交通省 甲府河川国道事務所
(説明文より)

万力林は河川公園として整備され、山梨県のシンボルともなっていますが、残念ながら真夜中…。暗すぎて公園の全貌を見ることは叶いませんでした

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そして、我々の本当の目的はというと

飲んだ勢いで、「蛍が観たい」「じゃぁ行こう」という事になり、かくかくしかじかという事でこちら「万力公園」にやってきたのですが、思ったほどの数が居なくて残念(5匹くらい?)
で、折角だからとお友達のご実家まで足を延ばした結果お庭にいっぱいの蛍を堪能する事が出来ました
カズちゃんありがとう

※この時のドライバーは飲酒しておりませんのでご心配なく
酔っ払いに素面で付き合ってくれた”ちょんちょんさん”に感謝申し上げます

そして、結果的に季節外れの記事となった事をお詫び申し上げます

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コメント

  1. kaz より:

    えっと💬
    P兄遅くね?笑
    もう既に思い出になってたよ笑
    早く山梨に遊び来て!
    待ってまーす!

  2. ぷーたん より:

    >kazさん
    いつも立て札を中心にご覧頂きありがとうございます(^-^)
    オイラも思い出だった(笑笑
    11月末楽しみにしてるよ〜(^o^)/

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