秋葉原昭和通り口駅前広場「佐久間橋」

歴史・由来の立て札

先日の記事、秋葉原駅前「神田佐久間町一丁目」由来版の記事の近くに「佐久間橋」の親柱が残されていました

DSC_2397a
佐久間橋は、神田川から秋葉原東口方面に流れる水路にかかっていた橋で、江戸時代には存在していませんでした。

 明治30年以前、日本鉄道の貨物取扱所が秋葉原に開設されたのに伴い、神田川から駅構内までの荷物運搬用として水路を掘った際に作られたものだそうで、この界隈の町名が江戸時代から現在まで「神田佐久間町一丁目」、川岸は「佐久間河岸」と呼ばれていました。

そんな事から橋の名前も「佐久間橋」となったようです。

 当初は秋葉原の駅舎の北側まで堀が入り込んでいたようですが、後年埋められ駅から南側だけがしばらく残っていましたが、それも埋め立てられ親柱が和泉橋のたもとの公園(佐久間橋公園)とこちらに残されているだけです。

DSC_2404
秋葉原公園の地歴

秋葉原公園は、明治時代、神田川と秋葉原貨物駅の船溜まりを結ぶ運河の一部でありました。その後、運河は埋め立てられましたが、公園の両側には、当時の護岸の石垣を残しています。また、公園の南側には、運河に架かっていた佐久間橋がありましたが、現在は道路として整備され、その名残となる親柱を公園に設置しています。
千代田区(案内板より)

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました