東京メトロ『小伝馬町駅』

歴史・由来の立て札

いつもご覧いただきましてありがとうございますm(__)m

私事ですが、なかなか連勤地獄から解放されず、苦しい日々を過ごしております
とは言え、そんなのはオイラだけではないと思いますが、身体を大事に皆様も日々頑張ってください

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東京メトロ『小伝馬町駅』

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先日、出勤時に「何かいい香りがするなー」と思ったら、金木犀(キンモクセイ)の香りでした

そして数日後には、銀杏のニオイへと変わっていました

忙しい日々あまり変化は感じられませんが、しっかりと季節は移り変わっているのですね~

ちなみに、銀木犀(ギンモクセイ)という植物もあるそうです(オイラは知らなかった…。)

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東京メトロの小伝馬町駅出口を出たところ。小伝馬町交差点付近に石碑と立て札を発見

私信 この交差点に『福T』のショップがあります

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うーん、なんか見たことがあるような感じもしますが…、この付近は歴史や時代劇などでも登場する人名、地名などと数多く出会います

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 都重宝指定
在町宝永時鐘
江戸傳馬町牢屋敷跡
吉田松陰先生終焉之地
 東京都知事 安井誠一郎

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都重寳 石町時の鐘
江戸時代當初の時の鐘で初め江戸城にあり2代将軍秀忠の時是を石町に移し 地元410町より集めた鐘楼銭で維持され幕末まで石町時の鐘として親しまれた鐘楼櫓下では蕪村等が夜半亭と号して俳諧の集ひをしていたことは有名である傳馬町牢に於ける處刑時もこの鐘を合図に執行されたが定時に鳴るべき鐘が處刑者の延命を祈るが如くその都度遅れたとあって一名情けの鐘とも傳へらる現鐘は旧楼燒損後寳永8年に改鋳したもので銘に寳永辛卯4月中浣鋳物師大工椎名伊豫藤原重休とある昭和5年9月石町寳永時鐘を楼建設会に依り十思公園に移され28年11月都重寳に指定さる

傳馬町牢屋敷跡
大安楽寺、村雲別院、身延別院、十思小学校及び十思公園を含む一帯の地は江戸時代の傳馬町牢屋敷跡である牢屋敷は慶長の頃常盤橋際より移り明治8年5月市ヶ谷囚獄が出来る迄存した幕末の時牢屋頭に大番衆石出帯刀御琢御用山田浅右衛門がつとめた當時勤王志士96名が處刑されている

吉田松陰先生終焉之地
長門の藩士吉田松陰先生は兵学に通じ憂國慨世の念篤く萩の松下村塾で多くの人士育成は遂に有爵者6名、贈位者17名、有位者14名といふ著名士を出した、先生は國事を論じた罪により安政6年7月傳馬町牢に囚はれ同年10月27日時30歳にて惜しくも最期をとげた

江戸史跡保存協賛会
昭和51年12月吉日
小伝馬町1丁目町会長柿澤常次郎寄贈
(説明板より)

最後までご覧いただきありがとうございましたm(__)m

という事で、簡単更新で失礼いたします

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