千代田区町名由来版「美倉町・西福田町」

歴史・由来の立て札

紺屋町交差点付近に立て札がありましたのでご報告致します

昭和通りと金物通りの交差点が紺屋町交差点です。

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この付近に暮らしている方の名字に福の字が付いている事が多いのは、気のせいではないのでしょうか?

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千代田区町名由来板「美倉町・西福田町」

江戸時代のはじめ、この界隈(かいわい)は佐柄木町(さえきちょう)ほかいくつかの町屋がありました。享保(きょうほう)(1716年~1736年)のころ、龍閑(りゅうかん)川(堀)の河岸は、道筋に沿って神田佐柄木町蔵地(かんださえきちょうくらち)、本銀町会所屋敷(ほんしろがねちょうかいしょやしき)蔵地、神田紺屋町二丁目横町(かんだこんやちょうにちょうめよこちょう)蔵地、その北側は火除地(ひよけち)となりました。文政(ぶんせい)十二年(1829年)、火除地に火除土手が設置されますが、安政(あんせい)年間(1854年~1860年)には取り払われ、跡地は町会所請負地(うけおいち)となりました。
明治二年(1869年)、神田佐柄木町蔵地などが合併して美倉町(みくらちょう)に、町会所請負地は西福田町(にしふくだちょう)になりました。美倉町の名前は、上記三つの蔵地があったことから「三蔵地(みくらち)」と呼ばれていたことに由来し、「三蔵」を「美倉」と改めたものです。また、西福田町という町名は、かつてこのあたりが福田村と呼ばれていたことに由来するといいます。ちなみに福田は、千代田、桜田、神田などと並ぶ、区内でもっとも古くから伝わる地名です。
明治時代に入ると、住宅のほかに、材木商、染物屋、金物屋などが店を開き、周辺の鍛冶町(かじちょう)や岩本町(いわもとちょう)とともに人々の日常生活に密着した町となりました。
昭和二十二年(1947年)、神田区と麹町(こうじまち)区が合併して千代田区ができると、町名はそれぞれ神田美倉町、神田西福田町と改められました。
昭和町会(千代田区HPより)

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